COLUMN
もう10年くらい前の話だが、私の元に自動車メディア志望の大学生がやってきた。彼は言うまでもなくクルマ好きだったが、どことなく、いや全面的に生意気なタイプで、私にこう言った。 「なんでマニュアル車に乗らなきゃいけないんですかねぇ。僕はそこのところがまったくわかりません」
思わず答えに詰まった。
確かに、マニュアル車に乗らなきゃいけないわけじゃない。彼はATのBMWに乗っていて、それを非常に楽しんでおり、マニュアル車の必要性をまったく感じないとのことだったが、自分のカーライフに満足しているなら、これ以上シアワセなことはない。ATで十分だ。
ただ、自動車メディア関係者つまり自動車の専門家になりたいのなら、マニュアル車を運転できたほうがいいんじゃないか?
しかし私は彼の態度を見て、こう答えた。
「別に乗らなくてもいいと思うよ……」
考えてみれば、なぜ自分たち中高年世代は、マニュアル車が上等でAT車が下級だと認識し、必死にマニュアル車の練習をしたのだろう。いったいナゼだったのか? 単なる思い込みだったのか?
そこで思い出しました。昔はマニュアル車のほうが速かったことを! ついでに燃費も良かった! つまりすべての性能がAT車を上回っていた!
マニュアル車は速くて難しいのでカッコイイ。AT車は遅くて簡単だからカッコ悪い。マニュアル車はイケてるスポーツマンでAT車は中年太りのオッサンだったのだ!
しかし今は違う。今というより、20年くらい前からだろうか、マニュアル車よりAT車のほうが速くなったのは。ついでに燃費もAT車のほうがよくなりました。涙。
速さという絶対正義を失ったいま、マニュアル派は小難しいことばっかり言うモテないオタクになり、対するAT派はスマートで合理的なスポーツマンになった。愕然。それがアタリマエの環境で育った若者が、「マニュアル車の必要性が理解できない」と思っても仕方なかろう。
我ら中高年世代は、本を読んで(この時点で泣けてくる……)必死にドラテクを練習した。特に頑張ったのは「ヒール&トウ」だ。シフトダウンする時、つま先でブレーキを踏みながらかかとでアクセルをあおって回転を合わせ、スムーズに減速していくテクニックである。
それを、本に書いてある通りにやろうとするのだが、全然うまく行かない。これができなきゃどうにもならないらしいのに全然できない。ヒール&トウは、ギターで言うと「Fを押さえる」みたいな感じか? 結局、ある程度マスターするまで2~3年かかった気がする。
付け加えると、私はその10年後くらいに、初めてフェラーリを買ったのですが、それは自分にとって生まれて初めての左ハンドルのマニュアル車。シフトレバーの位置が逆になったら、ヒール&トウの練習も一からやり直しだった。
しかもフェラーリは、アクセルペダルのレイアウト的にヒール&トウはできず、フォーミュラマシンに近いトウ&トウ(つま先の左右でブレーキとアクセルを踏み分ける)をやる必要があり、そのテクの取得にまたもや2~3年かかってしまいました。
それでも私があきらめずヒール&トウやトウ&トウに挑戦し続けたのは、「もっと速く、もっとカッコよく走りたい!」という、激しい欲望があったからだ。いまの若者にそんな欲望を抱けっていうほうがムリ。AT車のほうが速いんだから!
しかしそれでも私は、より深くクルマを楽しみたいのなら、マニュアル車をおすすめします。それを音楽に例えれば、「弾き手になるか、聴き手になるか」みたいなものでしょうか。
音楽は聴くだけでも十分楽しい。私も聴くだけで猛烈に満足しております。でも、自分で弾けたらもっと楽しいだろう。たぶん100倍くらい。
弾き手には誰でもなれる。マニュアル車を買って練習すればそれだけで! 車種は問わない。ポンコツでいい。マニュアル車ならなんでもいい!
私は、マニュアル車のシフトアップやシフトダンを、無意識のうちに脳内で反芻している。それがピタッと決まった時の気持ちよさが忘れられず、不動の「快楽パターン行動」になっているからです。