COLUMN

5-サーキットデビューのススメ

当コラムが掲載されているHCギャラリーには、『HCシェアリング』という、サーキット走行車両の画期的なシェアリングシステムが提案されている。詳しくはサイトを見ていただきたいが、現在入会金と保証金の無料キャンペーン中! これはもう完全なボランティアだ。ただただサーキット走行の楽しさを世に広めたいがために、代表の佐野氏が資金を投げ打っているのである(推測)。クルマ好きにとってこんなありがたい話はない! その気がある者は今すぐ入会しなさい!

そこで、参考までに、私のサーキットデビューの昔話を聞いてくださいな。

ミラージュカップ インターナショナルに、サーキット走行未経験でいきなり出場した私

私がサーキットデビューを果たしたのは、今を去ること32年前。1989年のことだった。

当時はバブル絶頂期であり、日本人のクルマ熱も絶頂期。もはや二度と訪れることはないビッグウェーブが来ていた。

その頃私は集英社の社員で、週刊プレイボーイ編集部のクルマ担当になったばかりだった。そんな私に先輩が声をかけてくれた。「お前、レースに出ないか?」と。

今では絶対あり得ない話だが、当時は雑誌にレースレポートを載せれば、タダでレースに出ることも可能だった。自動車メーカーにもレーシングチームにもカネが余っていて、使い道を探していた時代だった。

レースに出ないかと言われて、私は小躍りした。なんでもいいから一度でもレースに出れば、レーサーを名乗ることができる。当時レーサーは国民全員の憧れ。その末席を汚すことができる!

しかし恐ろしいことに、先輩に言われるがままに私がエントリーしたのは、「ミラージュカップ インターナショナル」というワンメイクレースだった。ワンメイクと侮ってはいけない。賞金も出ていたし、ランキング上位に入ればマカオGPの前座で走ることもできた。そのため、土屋圭市選手や中谷明彦選手をはじめ、プロレーサーが多数エントリーしていたのだ。これも今ではありえないことですが……。

ミラージュカップ インターナショナルに、サーキット走行未経験でいきなり出場した私(ゼッケン53)。スリップストリーム攻撃は、アオリ運転以外の何物でもなかった……。
ミラージュカップ インターナショナルに、サーキット走行未経験でいきなり出場した私(ゼッケン53)。
スリップストリーム攻撃は、アオリ運転以外の何物でもなかった……。

そんなレースに、まったくのサーキット走行未経験者がいきなり出るのだから、暴挙を超えた冒涜とでも申しましょうか。

初戦が行われるのは富士スピードウェイ。そこで事前に1回だけ、合同練習の機会があった。それが私のサーキットデビューだった。

レース経験が豊富な先輩は、私に富士の攻略法を伝授してくれた。「1コーナーは150メートル手前からブレーキング」とか、「クリッピングポイントは○○」とか、そういうポイント集である。それを読み、頭に叩き込んだだけで、いきなり初めて乗るレース車両(Sタイヤのミラージュターボ改)でコースインした。まったく恐るべき暴挙である。

合同練習なので、周囲は同じミラージュカップ車両のみ。つまりクルマの速さは同等だ。私は、見よう見まねで他車の後ろに付いて走った。とにかく必死に食らいついた。

すると、なんだか意外に走れた。HCシェアリングではAT車が人気とのことだが、当時のレース車両にATがあるはずもない。しかし私は特にシフトミスもせず、ヒール&トウにも失敗もせず、それほどの大差なく走れたような気がした。

もちろん恐怖はあった。なにせサーキット走行未経験のまま、プロも混じった本気練習の場に放り込まれたのだ。富士のストレートをアクセル全開で1コーナー手前150メートルまで突っ込むのは、未経験者には「ここここ、こんなことするんですかぁぁぁぁぁぁぁ!?」だったが、周囲がみんなやってるんだから、自分もやらないわけにはいかなかった。

それがなんとかできたのは、27歳という若さゆえか。思えば当時の私は、実に怖いもの知らずだった。

そして迎えた本番。バブル景気によってエントリー台数が増えまくり、出走約60台中予選通過は36台(うろ覚え)というキビシイ状況の中、なんと私は予選を通過したのである! 今考えても奇跡。

いったいなぜ私は、いきなりそこそこ走れたのだろう。

まず言えるのは、ヒール&トウはそれなりにマスターしていたことだろうか? これができないことには、MT車でサーキットを攻めるのはまったく不可能なので。

あとは、怖いもの知らずで、先輩に言われた通りに走ったからだろう。ある種の恐怖不感症になり、キカイのように入力されたまま走ったのがよかった。

その後ステップダウンし、筑波のレースにカルタスで出場。才能がないながらにレースに燃えた。

とまぁ出だしはよかったが、その後私は自分の才能のなさを痛感し、レースカテゴリーをどんどんステップダウンさせ、最終的にはレースではなくサーキット走行会で満足するようになった。

しかし思い起こしても、いきなり極限に放り込まれたサーキット初体験、あれは実に得難い経験だった。ああいう経験があったから、その後いきなりフェラーリを買うといった暴挙に出ることもできたのでしょう。

サーキット走行という極限を知ると人生が変わる! その気がある人には是が非でもオススメします。人生もブレーキングも思い切りが大切だネ!

筑波のレースで1回だけ、優勝も経験。そして私は4年間のレース活動を終了しました。
サーキットよありがとう!

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